中之島フェスティバルタワー

弊社 株式会社ビジネスラボラトリーのある大阪・中之島は大阪のビジネス街のひとつです。
「中之島」という地名は全国各地にあり、その多くは中州の地形に由来するところが多いと想像するのですが、大阪の中之島も堂島川と土佐堀川にはさまれた中洲で、東の中之島1丁目から西の6丁目まで東西3km、最大幅300mの地形です。
東のエリアには大阪市役所や日本銀行大阪支店、またシンボル的歴史建造物の大阪市中央公会堂など経済・文化・行政が集まる地域です。

また中之島の歴史は大坂夏の陣の後1615年、豪商・淀屋常安が川(流通)の地の利を生かして開発したことに始まり、江戸時代各藩の蔵屋敷が建ち並び米をはじめ様々な物資が集まり「天下の台所」と呼ばれるほどの活気のある商人の町になります。
明治維新後は蔵屋敷は払い下げられ、さらに商業・文化の中心となり情報や文化の発信地となっていきます。

時は流れ、弊社のある中之島フェスティバルタワー(東地区)は2013年に新たに開業しましたが、元は新朝日ビルディングで、大阪朝日ビルと朝日新聞ビルの3棟が、中之島フェスティバルタワー(2棟のツインタワー)となりました。
弊社も現在地の西側の大阪朝日ビル内に本社を構えておりましたが、中之島フェスティバルタワーの開業とともに移転いたしました。

元の大阪朝日ビルは1931年(昭和6年)竣工のモダニズム建築として有名でした。
戦前からの建物で焦土と化した中でも生き抜いた力強い存在感のある建物でしたが(砲弾の跡だと聞いたような記憶もあり)、老朽化に伴い80年の歴史に一時幕を閉じ惜しまれつつ2013年から2014にかけて解体されました。
写真を見ると懐かしく思い出されます。

2013年に開業(2012年完成)の中之島フェスティバルタワー(東地区)は、その前身は関西人なら誰もが知るフェスティバルホールです。
1958年(昭和33年)に新朝日ビルディングにオープンした本格的なコンサートホールの草分け的存在でした。昭和期に青春を謳歌した大阪人はクラシック、ポピュラーを問わず一度は訪れたことがあるのではないでしょうか。
時代は昭和から平成へ「大阪・中之島のプロジェクト」の一環として中之島フェスティバルタワーとして37階建ての超高層ビルに建替えられ、2階には2代目となるフェスティバルホールが伝統を引き継ぎながら進化したホールに生まれ変わりました。
夏の高校野球の組み合わせ抽選会が行われるのも、このフェスティバルホールです。

平成から令和の今、歴史ある商業と文化の町、大阪・中之島で商売ができる誇りと感謝を忘れずに。

TAN   TUK


【中之島フェスティバルタワー】


【解体中の大阪朝日ビル(2013年)】

(   )


【大阪朝日ビル(2013年立替前)】

大阪朝日ビル。現在この地には40階建てのフェスティバルタワー・ウエスト が建ち、写真左手 四ツ橋筋を隔てた側にフェスティバルタワー(東地区)があり、ビル開業とともに弊社も東へ移転しました。